こんにちは!経営企画部のFがなつかし懇親会をリポートします!

「なつかし懇親会」を神戸で 

当社は1995年の阪神淡路大震災で、当時の本社ビルが倒壊した経験があります。被災から30年を前に、当時からの社員が集まって親睦を深め、語りあう「なつかし懇親会」が行われました。

写真や記録コーナーに目を凝らす

会場には、震災前と震災後の入社式や、社員旅行の写真などが展示されました。他にも、モノクロだった社内報から直近のカラーの社内報まで。参加者たちが写真に近づき、「懐かしいね〜」と目を凝らして語り合う姿が印象的です。

さあ、笑顔が集まったところで社長の挨拶です。「懐かしいなー。写真を見たらみんな若い若い。面接もしたねえ。さて、今年のお正月のことです。能登半島地震の映像を見て、日本データーはよくあの震災を乗り越えてきたなあといろんな思いがこみあげてきました。今日は、あの頃から一緒に頑張ってきた仲間でお喋りして、楽しく過ごしましょう」。

乾杯の後は、年齢や役職の垣根を越えて「久しぶり〜元気だった?」とあちこちで笑顔の輪が広がり、まるで学校の同窓会のように盛り上がりました。

苦楽をともに、話題は尽きない

ここで少し、集まった社員に震災当時のことを聞いてみました。

👨‍🦰震災の時、本社は兵庫区にありました。ビルの1階に入っていた事務所はぺしゃんとなって。そこに請け負っていた仕事の大事なデータがあったため、社長が「若手社員はいかなくていいから」と自分で地面をはいつくばって取りに行かれましたよ。

👨‍🦰三宮の現本社(当時は営業所)では、「1台でもパソコンを助けたい」と社員が10階まで歩いて上ってパソコンを下ろしました。パソコンに電源が入っていたらファンが回って火災になる可能性も考えて、10階の執務室のブレーカーを落としました。

👨‍🦰町全体の何もかもが混乱のなか、社長が「何とかして25日に社員に給料を振り込んであげたい」と言われまして。社員が困らないようにと。銀行に直談判して何とか振り込むことができました。

👩勤務先の病院へ仕事に行く橋が壊れていて、泊まり込みで勤務しました。道路は自転車やローラースケートが多かった。私はトマト銀行前からバスに乗るのですが、道はがたがたで混んでいて進まないんです。時間が経っても経ってもまだトマト銀行だな〜と。

👩私も同じ病院の勤務でした。テレビの報道で仲間が勤務しているのを見ました。私は元町から船で向かいました。寒い時期でしたので、会社から毛布やカレーの差し入れをしてもらったことを覚えていますよ。

一緒に未来を笑顔にしていこう!

阪神淡路大震災という大変な時を乗り越え、支えあい励ましあって今があります。あれから約30年の歳月を共にした仲間の会話は尽きそうにありませんが、「なつかし懇親会」もフィナーレの時間となりました。

宴もたけなわ、副社長の挨拶が締めくくりです。「皆さんのご尽力で日本データーが成長しています。つい先日社員数が4500名を超えました。全国に展開しています。日本データーらしさを継承していきながら会社を強くしていきたいと思います。そのために皆さんのお力が必要で、長くご活躍いただけたらと思います」。

思い出話に花を咲かせた「なつかし懇親会」は、まさに日本データービジョン「笑顔でつなぐ仲間と未来」そのものの会となりました。運営として参加した経営企画部にとっても、歴史を知る貴重な経験となりました。

私たちが継承していくのは、大先輩たちが被災を経験しながらも、事業を通して社会を支える力となり、大切につないできた日本データーのバトンです。社会貢献への強い志とCSRの取り組みを持って、社員が笑顔になれる会社であることはもちろん、その先の社会や未来を笑顔にする会社でありたいと考えます。能登半島の被災地にも引き続きの支援を行ってまいります。

私たちとともに未来を笑顔にしたい、あなたの入社をお待ちしています!